2018年07月16日

傾奇者 前田慶次  兵農分離の利点

前田慶次.PNG


前田慶次列伝

前田慶次は傾奇者だが武力はずば抜けて高いことで有名である。

また、漫画「花の慶次」も有名である。

この前田慶次という人物については不明な点が多いらしい。


前田慶次は尾張の国(現愛知県)で生まれた。
生年も定かではないが、1533年、1541年の確立が高いという。

尾張の国は当時織田家の支配下で、前田慶次の生まれた頃はまだ織田信長も幼かった。
織田信長の父、織田信秀の時代である。

前田慶次の父親についても分かっていないが、どうやら滝川家と関係があるようだ。
滝川一益の兄や弟などの説がある。

ではなぜ滝川という名字ではないのか?

なぜなら前田家の養子となったからだ。


一番上にある写真のような人物であったとされる。

僕は信長の野望烈風伝を好んでプレイしている。

ここからは僕が思う前田慶次について書く。

当時前田慶次のような人物は珍しいが、自由な生き方でいいと思う。

当時で言えば各大名家にとって武力が高い武将は何が何でも欲しいところだ。

悪戯などもしたというが、そこは大目に見るのが賢いと思う。

僕が当時の大名(土師家)の当主であれば、前田慶次のような武将は積極的に登用する。

僕はそれぞれの武将、人物の得意なところを生かせばいいと思うからだ。

前田慶次は政治などは苦手のようだが、戦闘能力が高い。

それならば戦に出せばいいのである。

逆に政治の方が得意で戦が苦手のような武将ならば、内政をやらせればいいのである。


織田家は兵農分離という方法を使った。

これは兵隊に借り出す人と畑仕事を行う人を分けるのである。

結果的にこれを行ったため成功した。

逆に武田家などはこれを行わなかった。

そのため、特に武田家のあたりは雪も降るため、移動が大変だ。
頑張って移動しても春になると畑仕事があるため国に帰らなければならないのである。

また、戦が苦手な人物まで戦に出すのは効果的ではない。





これは現代の社会にも言えることである。

それぞれの人の得意なところを生かせばよいのだ。
そうすれば上手くいくことは多いのではないか。と僕は思う。

何かが苦手でももしかしたらその場にいる誰にもできないことができるかもしれない。

誰にでも長所と短所はあると思う。

それを良い方に持っていくことが大切だと僕は思う。


posted by 織田信長 at 21:48| 東京 ☀| Comment(0) | 兵農分離 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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